観念の恋、現実の生活。終戦記念日、源氏物語

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愛ある恋の伝道師manaです

終戦記念日を2日前に控えた新聞記事。

死を目前に控えた特殊な状況下だからこそ

燃え上がる恋、輝く愛。

作家の島尾敏雄

死ぬために着任した島で恋に落ち、

出撃命令の下った8月13日の夜まで

その女と逢瀬を重ねた。

2日後に終戦を迎え、

目前に見えた死は遠のき、ふたりは結婚。

蜜月はなく、狂乱の日が続いたという。

私の好きな歌人

建礼門院右京大夫という女性の遺した

建礼門院右京大夫集という家集がある。

高倉天皇中宮平徳子に仕えた輝かしい日、

年若い平資盛との恋、

源平合戦、資盛の死。

彼女の若かりしころに

交わしたり詠んだりした歌の

まとめられた家集。

また、源氏物語柏木。

これは先日記事にしたとおり、

女三宮という皇女に恋をし、

彼女がほかの男のものになっても

恋い焦がれ続け、

彼女の落ち度から叶った垣間見にも

その落ち度を思わず

垣間見の叶った奇跡を喜び

ますます心奪われるばかり。

数年越しの恋を

彼女の異母姉を娶ることで

決着しようとしたものの、

観念に恋をする柏木に

現実の結婚生活はまともに紡げず、

本来結婚しないはずの皇女を

無理にもらっておきながら

こんなはずではなかったと粗略に扱う。

そして、女三宮を犯して孕ませ

それが夫に露見して心を病んで死ぬ。

豆腐メンタルの極み。

右京大夫がもしも資盛の正妻で、

かつ出逢ったのが戦乱の世でなく、

何者にも引き裂かれない結婚生活が

送れていたとしたら。

もしかすると、彼女は

あの美しい家集を

遺さなかったかもしれない。

家集を編むにあたり、

資盛との恋にばかり焦点を当てることは

しなかったかもしれない。

右京大夫には資盛と前後して

藤原隆信という恋人もいた。

年上の隆信にちょっかいを出され

すぐに飽きられたのか、

隆信とやり取りした和歌は

あまりたくさん入っていない。

隆信の存在、隆信との和歌は、

資盛との恋、資盛への恋の

引き立て役のような印象を与える。

隆信は長生きした。資盛は死んだ。

その時の恋の盛り上がりだけでなく、

この結末が、

右京大夫のなかでふたつの恋の意味を

変えた可能性はある。

多くの場合、死者には勝てない。

死者の記憶は美化される。

そして

死を前にした人、特に若者は美しい。

当人の意志以外の理由で

終わりの約束されている恋は

本来以上に恋を燃え上がらせる。

恋愛もそうだが、結婚とは特に生活である。

生活とは、日常。現実。

非日常的な状況下で結ばれた恋を

日常でも継続することは難しい。

柏木が女三宮をもし娶っていたとしたら、

それはそれで異母姉と同じような

現実だったのかもしれない。

柏木は

生活、現実というものを生きるには

観念を育て過ぎた。

理想の女性女三宮という観念を。

私にもそれは解る。

私も観念に恋をする人間なので、

現実の結婚生活が送れずに

観念を一時的に手に入れて

死に向かった柏木の恋が解る。

結婚生活はおろか平穏な恋愛すら

立場と時代に阻まれ

死によって恋を絶たれた右京大夫が、

長生きした元恋人ではなく

早世した元恋人への恋を

至上のものとし家集を編んだ気持ちが

解る。

平和は尊い。争いは望まない。

けれども、

平和な環境では成り立たない恋があり、

日常を紡ぐことを困難とする人間がいる。

そんな人間はそんな恋を

擬似的に成り立たせるのかもしれない。

戦争に絶たれる恋の代わりに

例えば家庭の外の恋や

決して結ばれない恋を選び、

結ばれないことを以て

その恋の純粋さを保つ。

少なくとも私は

そうしていくつかの片想いを経験し、

それらのほとんどは

恋を終えたいまも輝きを失わない。

観念は尊い

決して裏切らない。

決して汚されない。

現実のしあわせと観念の輝きと

どちらを取るか。

ただそれだけだろう。

どちらが正しいということもない。

ただ、私は

現実の生活に毒された複数の恋を見て

それらを醜いと思い、

これまでのところは

観念の恋を選んできただけだ。